【後編:寂雷SIDE】
事務所内に低いビート音が鳴り響く。男性の手に握られているのはマイク。
「私にラップバトルを挑むのですか」
肯定の代わりに、男が口元へマイクを運ぶ。仕方なく此方もマイクを構えつつも、理解し難い行為に内心で首を捻る。奢る訳ではないが、私はディビジョンバトルの優勝チーム麻天狼のリーダー、それをこの男性が知らない訳がない。普通の人間であれば勝ち目がないのは一目瞭然のはず。しかしこの男は臆すことなく戦いを挑んで来た。怒りでそこまで我を失っているのか。
「所詮同じか 神宮寺寂雷
そんなに大事か!? かつての仲間
パクリ野郎 目障りなだけの 飴玉男
同じだろ!? 俺とお前は 一蓮托生
俺のために 使わせるお前の力
ill-DOC 跪け 俺に従え!」
微かな衝撃が走るが、勿論耐え難い程の物ではない。ディビジョンバトルのような精鋭達の言の葉ではない為に、ダメージもさして大きくは無いものだった。しかし、攻撃されたからには正当防衛という権利がある。それに女性への二次被害を食い止めなくてはならない。まだ奥で寝ているようなのが幸いだ、この1バースで申し訳ないが男性の戦意を喪失させなければならない。
「いきますよ──、
よしなさい言い掛かり その戯言耳障り
確かに彼との反りは合わない されど君との利害も合わない
胸の中の嫉妬 憎悪 生み出された病理妄想
この声とメスで執刀 開胸 取り出そう渦を巻く感情
君は夢への道を歩き詰め 誑かされた悪い夢
醒めなさい救われる為 耐え難い夢を終えなさい」
衝撃に事務所の壁が揺れ、布や資料が宙を舞う。致命傷は避けつつも確実なダメージにこの男性はこれ以上の攻撃は不可能──、
「…ッ?! ぐ……何、故……っ、!」
視界がぐわりと歪む。見下ろす形だったはずの男の顔はいつの間にか見上げる形になっていて、そこには意地の悪い笑みが浮かんでいる。必死に立ち上がろうとしたその時、首筋に冷たい物が当てられる。
「貴方に選択肢はありませんのよ、寂雷先生?」
鈍く光る刃物を辿れば、細い腕の向こうに先程助けた女性の顔。顔色は先程と打って変わって健康そうな様をしていた。
「お人好しをここまで来ると馬鹿だな?」
「最初からグルだったのよ、コイツとは」
「……っ、しかし、貴女は何故動けて…、」
「さすがに病状までは欺けない、けれど擬似的に引き起こすことは出来るの」
「薬って便利だよなぁ?狙った症状を引き起こすことだって出来る。解毒剤も用意しときゃ、都合のいい時にだけ病気になれるっつー訳だ」
首筋に当てられる冷たさから気を逸らさずに思考する。薬は毒と表裏一体。確かに理論上は可能ではある。しかしそれは倫理的にはとても認められない。……今日の会合での、中王区のとある医師が脳裏を掠めるが、今考えるべきことではない。
「……そのマイクは」
「貴方が知ることではないわ、神宮寺寂雷」
ぐい、と突き立てられる刃の先から熱い物が流れ首筋を伝い落ちる。これ以上刺激してはならない、しかしこの状況を打破する方法が見つからない。普段ならば力ずくでどうにかするのは容易いが、ダメージのせいで手足に上手く力が入らない。
「アンタに選択権はねぇんだよ、先生。つーワケで俺らに従って貰……誰だ!」
突然、事務所のドアが軽快なノック音に続いて開かれる。入り口を振り向いた男は一瞬驚き、そして更なる憎悪の色を湛えていく。
「あっれ~? なになに、この状況ー! 寂雷ピンチとかウケるー! 僕の知ったことじゃないけどね☆」
「飴村、乱数……」
ゆらりと男がドアの方へと向かう。目には殺意。男の握り締めたマイクをちらりと見遣れば、「わぁ、ラップバトルー? いいねいいねー! じゃあ僕が先手貰っちゃうよ!」とぴょんと跳ねてはマイクを握る。耳障りなビートが事務所に響き渡る。
「その濡れ衣って 今季のトレンド?
キミとじゃ出来ない 本気のプレイを
才能 ナシ!に付ける薬は
I know 勿論 僕のrapping!
良薬じゃないからお口に甘い
ようやく分かった?ならお家にバイバーイ☆
“boot”s のままじゃ 上がれないランウェイ
裸足で逃げてね run away!」
爆発音。事務所内は惨劇となっていた。私に刃物を突き付けていた女性がフラフラと奥の部屋へ向かって行く。この状態には幾度も見覚えがある。幻惑系のリリック。つまりこの女性は今、幻覚を見ているのだ。
「うぐ…ッ゙、あぅ……なんだ、これぇ……?」
しかし次の瞬間、目を疑う光景が広がっていることに気付く。飴村君がまでもがフラフラと此方へ向かい、そしてドサリと床に倒れる。その目の焦点は合っていない。男性は醜悪な笑みを浮かべている。一瞬で状況を整理する。先程の不可解な現象と目前の状況から導き出される答えは……つまり、私が取るべき行動は、一つ。
「立ちなさいここで膝をつく 君らしくない
立ち話のように負け犬 蹴散らす君のrap style
私(ワタクシ)は識る 中指立てた君の強かさ
カラクリなどない 暁よりも明かすフローの光
未知のマイク 驚異あれど脅威ではない
ヒプノシスマイク 握れ気高い言葉放つなら手を貸そう」
静かなビートに乗せて渾身のリリックを紡ぐ。あの日以来、飴村君に向けて攻撃以外の意味を持つラップを放つ日が来ようとは思いもしなかったが、今の私が取れる選択肢は一つしかない。私の憶測が正しければ、あのマイクがあったとしても問題はない筈だ。
「っ、余計な事してくれてんじゃねぇぞ!!」
ようやく状況を理解したらしい男性がマイクを構えるが、既にピンク色の髪を跳ねさせて飴村君は私の横に立っていた。そして私自身の身からも同じく先程のダメージは消えている。
「飴村君、可能かどうか分かりませんが」
「仕方ないけど、仕方ない! けどその発想ってなかなか戦闘狂の発想じゃない、寂雷?」
「文句は後で受け付けます、──行きますよ」
「もしや君の脳にはピック病?
でなければ被害妄想のrip off
Hip hop!なんてそんなラップにはオーバーサイズ
馬子にも衣装?やだやだ〜!似合わないよ一生
マイク握る相棒はdesigner 携える剥き出しのDesire
絆は愚弄でも史上最高 好一対の相性認めよう
illなフロウで倍増しちゃう才能?性能!
最強無敵の関係 キミは要拘束のクランケ」
ガシャン!!! 男が倒れると同時に棚が崩れ、下敷きになる形になる。負荷はあまり掛かってはいないが、構造上自力で脱出するのは不可能そうだ。
「わっ、上手くいったじゃーん!」
「ふぅ…一か八かの賭けでしたが。お礼を言いますよ、飴村君。君が来てくれなければどうなっていたことか。けれど何故ここに?」
「別に寂雷を助けたワケじゃないからね~? たまたまだよ? オネーサンから、最近色んなデザイナーにケチつけててウザーいヤツがいるって聞いたからさ、お説教しなくちゃって思って来たら、びっくり! 寂雷が倒れてるんだもーん! あ、もしかしてコイツ、僕にもケチつけてた?」
「ええ、君にデザインを横取りされたというようなことを」
「うわっ、頭に来ちゃうな、お願いされたってこんな冴えないデザインパクったりしないのに!」
「ええ、そこに関しては私もそう考えましたよ。君のデザイナーとしての腕は一流ですし、そのプライドだってある。他人のそれを奪うような真似はしないことは、TDD時代の君を知っている私からすれば自明の理ですから」
「…ふーん……って、あれ?なんか電話鳴ってない?」
「電話?……おや、私の携帯ですね。ちょっと失礼」
画面を開けば、左馬刻くんの名前と番号。今は敵対しているディビジョンのリーダー同士、余程の事がなければ連絡が来ることなどない。急いで通話ボタンを押す。
「……ええ、なるほど。分かりました。少し待ってください」
デザイン資料をパラパラと覗きながら「まぁそのままくたばっちゃえばよかったのにジジィ」などと零す飴村君に溜息を付きつつ、提案を投げかける。
「飴村君、この後、君の事務所をお借りしてもいいですか」
・・・"Counter the encounter Epilogue" へ続く